Youtubeやツイッターなど他メディアで利用する場合、当サイトへのリンクを入れていただければ報告の必要は必要ありません。

土器や古文書に見るツチノコ

土器や古文書に見るツチノコ
土器や古文書に見るツチノコ

土器や古文書に見るツチノコ

縄文土器のツチノコ

長野県立歴史館に所蔵されている「富士見町札沢遺跡」出土の土器には、装飾部分にツチノコらしき生物を見ることができる。

この縄文時代の土器は動物装飾付釣手土器と呼ばれ、釣手部分にヘビやイノシシなどの動物文様や人面装飾が施されている。釣手土器は、祭祀に関係する立石や石棒などと一緒に出土することから、集落における祭祀に関わる土器と位置付けられている。

富士見町札沢遺跡出土土器の正面

富士見町札沢遺跡出土土器の背面

装飾に関しては、ヘビではなくほかの動物の可能性もあるが、正面から見るとヘビの顔に見える。背面を見ても、後ろはしっぽで足はなく、ヘビの特徴を備えている。

配置は、正面にツチノコ型ヘビの装飾が3体、両側の縁では2匹がとぐろを巻いており、4匹目のツチノコ型ヘビを輪っかを通して向こう側へ見ることができる。すると、4匹が揃ってこちらを見ている配置となり、この構図を意図して作成されたと思われる。

あとは、このヘビがツチノコかどうかだが、残念ながらツチノコだと断言できるまではいかない。縄文時代には文字がないため想像で試行錯誤するしかなく、遺跡からツチノコの骨が発見されたという話もない。

せめて、ツチノコの骨や痕跡が発掘されなければ、推測の域を出ないであろう。

考古学は日々新たな発見で常識が覆っており、最近ではこれまで女性を象っていると思われていた土偶が、実は木の実や食べ物を輪切りにした形を表しているのではないか、という新説も出ており、固定観念にとらわれていては本質を見逃す可能性もある。

そのため、ツチノコを象ったものであるかもしれないが、そうではないかもしれない、という推論にとどめておくのみとする。

なお、この土器は「信州の特色ある縄文土器」として、県宝に指定された。

『土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎』

古事記・日本書紀の野槌「草野姫(かやのひめ)」

日本書紀の野槌、祖草野姫(くさのおやかやのひめ)

ツチノコに関し、文献として最も早く登場するのは、 8世紀初め奈良時代の『古事記』・『日本書紀』である。

これは巷でよく言われていることだが、しっかり調べるとツチノコではなく「野槌」であり、しかも野槌はカヤノヒメ神の別名だ。

古事記は、イザナギとイザナミの国造りの際、鹿屋野比売神、別名が野椎神(のづちのかみ)と記されている。

日本書紀では、「草(かや)の祖草野姫(くさのおやかやのひめ)、または野槌と名す」とあり、ここで野槌が登場する。「野ツ精霊の意で、野の精霊は萓、蛇や猪また鹿であったりする」とあるため、ここから野槌にヘビの印象がもたれるようになったと思われる。

そもそも国造りの話で登場しているので、いわゆる現代の我々が想像するようなツチノコ像とはまったく異なるものとなっている。

古事記における草野姫

草野姫(くさのおやかやのひめ)と野槌

『和漢三才図会』の野槌蛇

ツチノコが次に文献へ登場するのは、時代を1,000年以上経たあとになる。

正徳2年(1712年)の寺島良安による『和漢三才図会に、ツチノコの別称である野槌が掲載された。

しかし、「野槌蛇」の図を見ると、ツチノコと明らかに違う形をしているし、頭から尾にかけての太さが同じという点を除けば、その姿は一般的な「蛇」と大差ない。

このヘビは、国巣(現在の奈良県付近)の吉野川上流辺りでよく見かけられ、坂道を下るのが速く、よく人を追いかける。大きな口で足にかみついてくるが、坂を上るのは下手なので、野槌蛇と出会ったら高い方へ逃げればいい、と書いてある。

名称が野槌ではなく野槌蛇となっていることからも、いわゆるツチノコとは違う種類と見た方が良さそうだ。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898161

『今昔画図続百鬼』の野槌

今昔画図続百鬼の野槌

野槌
野槌は草木の霊をいふ
また沙石集に見えたる
のづちといへるものは
目も鼻もなき物之といへり

1779年(安永8年)に刊行された『今昔画面続百鬼』は、鳥山石燕の妖怪画集で雨・晦・明の上中下3巻構成となっている。

『画図百鬼夜行』の続編にあたり、知名度の高い妖怪から和漢三才図会に掲載されたものを参考に描かれた妖怪もいる。そして、この中の下之巻/明に野槌が挿絵とともに掲載されている。

ところが、この野槌は目も鼻もなく形はツチノコに似ていない。しかも、生物ではなく「草木の霊」と記されている。

ヘビより草木の霊として描いているようなので、どちらかというと古事記・日本書紀の草野姫(かやのひめ)の影響を受けていると思われる。

さらに、『今昔画面続百鬼』は妖怪を掲載している書物であるから、ツチノコとは別種と考えた方が妥当であろう。

『信濃奇勝録』の野槌

1886年(明治19年)に出版された信濃奇勝録で、ようやくツチノコが登場する。

項目は野槌となっているが、一般的なツチノコのイメージに近く胴回りが太いヘビとして描かれており、これが文献に図が残された最古のものと思われる。

とはいえ、その特徴は異なっていて「特に害を加えることはない」とあり、近年の目撃情報と異なる。この部分に関しては、むしろ「突然襲ってくる」という近年の目撃情報の方がおかしいと言えるかもしれない。

『信濃奇勝録」の原文と読み下し文

野槌 漢名千歳蝮
馬篭より妻篭の間に一石峠とてわづかの峯あり
この山中に野槌という物あり
八月の頃たまたま出るといえども稀にして見るもの少し
形蛇の如く中太らかにして大小あり
大なるは長さ1尺23寸太さ1尺廻り行事も蛇のごとし
岨坂を横ぎるときは轉ひ落て行事とならず
敢えて害をなすことなしといへり
和漢三才図會に吉野の奥に此物ある事をしらす此説に異なり

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765064

『信濃奇勝録』の現代語訳

ツチノコ 漢名は千歳マムシ
馬籠から妻籠の間に、一石峠という短い峰がある。
この山の中に、ツチノコと呼ばれる生き物がいる。
8月ごろ出るのだが、非常に珍しいためなかなか見ることはできない。
形はヘビのようなのだが、中ほどが太く大きいものから小さいものまでいる。
大きいツチノコにもなると長さは36~39センチで胴回り30センチほどで、ヘビのようだ。
険しい坂を横切るときは、ツチノコに出会ってもあわてる必要はない。
なぜなら、特に害を与えてくることはないからだ。
和漢三才図会にも野槌が掲載されているが、この野槌はこのツチノコと異なっている。

古文書のツチノコのまとめ

縄文土器のツチノコに関しては、ツチノコを模したものと断定はできないため、ツチノコの骨の出土待ち。遺骨が出てくれば、ツチノコを模したものである可能性が一気に高まる。

ツチノコ関連の文献に関しては、一般的には「ツチノコは古くから目撃されていて、それが文献にも残っている」とされているが、よく調べてみると1886年(明治19年)の『信濃奇勝録』以外は神や霊、野槌が混同されており、ツチノコと呼べるものではないことがわかる。

ツチノコ=野槌というイメージも強いが、野槌の方は草野姫の影響が強く、どちらかというと心霊現象に近いのではないだろうか。

以上のことから、ツチノコ≠野槌であると考える。ただし、地方特有の呼び方や慣習から、深く区別せずツチノコのことを野槌と呼んでいた地域はあるかもしれない。

・縄文時代 長野県出土の釣手土器にツチノコらしき装飾
・紀元8世紀 古事記・日本書紀に野槌「草野姫(かやのひめ)」が登場
・1712年(正徳2年)『和漢三才図会』は野槌蛇であってツチノコではない
・1779年(安永8年)『今昔画図続百鬼』の野槌は草木の霊で生物ではない
・1886年(明治19年)『信濃奇勝録』に、野槌としてツチノコが登場

ツチノコの歴史カテゴリの最新記事