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「ツチノコ手配書」と1970年のツチノコブーム

「ツチノコ手配書」と1970年のツチノコブーム
「ツチノコ手配書」と1970年のツチノコブーム

「ツチノコ手配書」と1970年のツチノコブーム

ツチノコ手配書

ツチノコ手配書

手配書 幻の珍蛇 槌の子 えものを狙うの図

右のものは住所不定。たくみに偽名を用い、キネノコ、ワラヅチ、タンコロ、トッタリなどとも称し、正体つかみがたく、各地に出没する恐れあり。胴の太さ5寸、長さ8寸に近く、よって五八寸の異名をもち、行動きわめて俊撻なり。重要参考のものにつき、すみやかなる生け捕りを要す。

賞金 生け捕り金三十万両 遺体金十万両 写し絵(写真)金六万両

をそれぞれ進呈。

ただしいずれも最初の持参者に限る

西武デパートの企画

西武デパートとツチノコ

このツチノコ手配書は、小田原城近くにある小田原市郷土文化館に展示されていた。

下に西武デパートの社紋が入ったパターンもあり、熱心な西武百貨店写真の働きにより、賞金の提供を受けるに至った。

なぜ、デパートがこのような企画を行ったのか。それには、このころの時代背景が関係している。

1970年代のツチノコブーム

きっかけは、1972年に作家の田辺聖子が、ツチノコ捕獲に情熱を燃やす作家山本素石をモデルとした小説『すべってころんで』(中公文庫他)を朝日新聞夕刊で連載したことによる。

田辺聖子氏は、1964年に『感傷旅行』で芥川賞を受賞した日本の代表的な女流作家である。

夫はツチノコ探しに没頭、息子が学生運動を行うなか、妻は感傷旅行へ出る。感傷旅行に出る妻。小説後半にかけ、ツチノコ探索が描かれている。

この小説は大変好評だったようで、翌1973年にNHKが『銀河テレビ小説』枠にて三ツ矢歌子主演でドラマ化、舞台化もされている。

新聞連載時の斎藤真成による挿絵も評判が良く、同年1973年に梅田画廊から『斎藤真成挿絵集 すべってころんで』が発売されている。これをきっかけにツチノコの名が全国的に知れ渡ることとなり、「ツチノコ」がブーム化した。

ツチノコの目撃があった町や村が、西武百貨店のように賞金を賭けたこともブームを盛り上げた。数百万円から中には3億円の賞金が賭けられたことから、子供だけでなく大人たちもツチノコ探しに熱狂した。

ツチノコに賭けられている賞金の一例

2006年6月 毎年開催 新潟県糸魚川市 生体捕獲で賞金1億円、写真提供は10万~100万円。
      募集は通年だが、年1回6月に捜索のイベントを行っている。
1993年9月 兵庫県美方郡美方町 別荘地百坪
1992年8月 兵庫県千種町 生体捕獲2億円、死がい1億円※同町の年間税収額に相当
1991年5月 奈良県吉野郡下北山村 生体捕獲100万円、死体で50万円、抜け殻30万円
1989年2月 広島県上下町 賞金100万円
1988年4月 毎年開催 岐阜県 東白川村 賞金100万円 2012年は賞金123万円

和歌山県すさみ町 ツチノコ生け捕り賞金百万円と副賞イノブタ1頭
岡山県吉井町 ツチノコ生け捕り賞金2,000万円
西武百貨店 ツチノコ生け捕り賞金300万円
学研ムー編集部 ツチノコ生け捕り賞金100万円

「ツチノコ探索記」が連載

ツチノコの絵

さらに、1973年に『少年マガジン』でマンガによるドキュメント風「ツチノコ探索記」が連載開始。

同年末には単行本が刊行され、子ども文化における「ツチノコブーム」の起爆剤となった。現在は、2000年に刊行された文庫版が入手可能。

先述した、西武百貨店の「ツチノコ手配書」が配布されたのも同年のことだ。西武が「ツチノコ」に賞金をかけ、このことがブームをさらに過熱させるきっかけとなったとされている。

広告効果も兼ねた意表を突く企画だが、これはもともと西武側が『すべってころんで』のモデルになった山本素石氏に話をもちかけて実現したもので、山本素石氏(1919-1988年)が率いる「ノータリンクラブ」との共同プロジェクトだった。

『逃げろツチノコ』が出版される

逃げろツチノコ 山本素石

ノータリンクラブとは、顧問に文化人類学者の今西錦司を迎え、釣りを楽しむと同時にツチノコ捕獲に取り組むクラブだ。

1959年、山本素石氏は渓流釣りの途中でツチノコを目撃しており、1960年代以降、随筆でも度々ツチノコを取り上げている。そのツチノコへの熱い思いが高じて結成された。

その様子は、1973年に山本素石氏のエッセイ『逃げろツチノコ』(二見書房)でユーモラスに描かれている。

なお、10年以上にわたって続けられた探索は、詐欺師の登場によって幕切れを迎えている。

大きさはビール瓶ぐらいだが、あんなに太く丸くない。やや扁平で、色もそれよりはいくらか黒っぽく、長さは目で測ったところ、どう見ても40cm以上ではない。いやに不細工なしろものだが、出来損ないの奇形や突然変異とは思えないし、造物主のいたずらにしては念が入りすぎた出来ばえで、それなりに完璧なスタイルをしていた。

頭の大きさは、大人の手の指を三本そろえたほどの幅があって、厚味もほぼそれ位。つまり幅の広さにくらべると、異様に薄っぺらい感じである。ニシキヘビであるならば、優に3メートル級の大きさに匹敵する頭の幅であった。ウロコも普通のヘビにくらべてずっと荒く、同大の鯉のウロコほどはあったろう。背部と体側には、マムシと似てはいるが、もっと荒くて毒々しい斑紋があったように思うけれど、形の異様さに気を呑まれていたせいか、ここのところの記憶には自信がない。扁平な胴体の梁骨を三角状にとがらせて、特有の興奮状態にあることを示していた。

もうひとつの印象的な特徴は、ズン胴の尻の方がそぎ落としたように急に細くなって、ネズミのような尻尾がチョロリとでていたことである。

逃げろツチノコ

『幻の怪蛇・バチヘビ』が連載

同じく1973年、『釣りキチ三平』でおなじみの釣りマンガの大家・矢口高雄が、『幻の怪蛇・バチヘビ』を『少年マガジン』に連載する。「バチヘビ」とは「ツチノコ」の別名だ。矢口氏自身、かつて「ツチノコ(らしきもの)」を「チラ見」した経験を持っているという。

『幻の怪蛇・バチヘビ』は、そういう彼が仲間とともに行う「ツチノコ探索」をドキュメンタリーとして描かれている。

「ツチノコ」ブームの初期にあった、「猛毒を持った禍々しい妖怪」のような恐ろしいイメージや、リアルな爬虫類感が表現されている。

ドラえもんの「かわいい」ツチノコ

ドラえもんのかわいいツチノコ

さらに74年、翌75年にはマンガ『ドラえもん』にも「ツチノコ」が登場する。

特に、1975年に小学館『小学六年生』に掲載された「ツチノコみつけた!」は、矢口氏のタッチとはまったく異なる「かわいい」ツチノコが印象深い。

ツチノコ探しを、ジャイアンとスネ夫から馬鹿にされたのび太。ドラえもんから、2040年代の未来ではツチノコの実在が確認されペット化までされている話を聞き、そのツチノコを連れてきて第一発見者のふりをすることを思いつくが・・・、という話である。

管理人も読んだことがあるが、ドラえもんの未来ではツチノコが増えすぎて「ノラツチノコ」まで出る始末となっている。

のちに『ドラえもん』が台湾へ輸出された際、台湾の多くの学生たちには作中内のかわいいツチノコのイメージが定着している。

現在では、てんとう虫コミック「ドラえもん9巻」の第2話「ツチノコ見つけた!」で読むことができる。

ドラえもんのかわいいツチノコ

ドラえもんツチノコティッシュカバー

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